『底辺女子高生』(62/120)
- 動機
作家の読書道とかっていうので名前を見て知ったのと、エッセイとかそういうのが元から好きで、しかも文庫なので安かったから。っていうのを人のブログで紹介されてるのを見て思い出したので。
- 感想
「本当の私」なんて探してもいません。みっともなくもがいてる日々こそが、振り返れば青春なんです―。「底辺」な生活から脱出するため家出した高校二年の春。盛り下がりまくりの地味な学祭。「下宿内恋愛禁止」の厳粛なる掟。保健室の常連たち。出席時数が足りなくて、皆から遅れた一人きりの卒業式。最注目の作家によるホロ苦青春エッセイ。
とかそういう感じのエッセイなんですけど、読み終わったころには体内のみぞおちあたりにあるトラウマ袋をがんがん殴られてエクトプラズムまがいのナニカがでろでろ口やら目やら耳やらからも出るわ出るわのトラウマフィーバー。しかも現在進行形で。ing系で。系ってなにさ。
特に卓球の項がタイムリーすぎです。ちょっと調子こいてました。しにます。学祭も家出のところもけっこう被ってて倍々でしにます。方言のところに違和感を感じなかったり、雪国生まれ故の雪の嫌さとか共感してしまってしょうがないのが私なのです。あと「『本当の私』なんて、いません」に泣いた。三日三晩泣いた。泣き虫サクラくらい泣いた。
というか全体的に被ってて読んでると、こう、いたたまれない感じとか過去の光景がもわもわ浮かんできてノスタルジったりとかして。ていうか今感想書こうと思ってパラパラめくっただけで今瀕死です。ここがベランダだったら「永遠に」→携帯投下から自分もダイブの一連の流れを再現しそう。
エッセイ中に結構な枚数の挿絵が入るんですけど、それを豊島さん本人が書いてるらしいのですけど、うまいです。こう、中学生のときにのぞき見たとなりの席の子のノートの片隅に書いてあるラクガキをもっとうまくした感じです。わかり辛い気はするのですが分かる人には一番ぴんとくる表現な気がしたので。これもこれでのすたるじぃ。
まぁとらうまとらうま言ってますけど全体的に楽しめました。エッセイとはやはりいいものじゃわい。でもやっぱり、トラウマがーとーまーらーなーいー♪
- 作者: 豊島ミホ
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2006/08/01
- メディア: 文庫
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